ゴー宣DOJO

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笹幸恵
2025.10.30 11:06ゴー宣道場・公論イベント

保守とリベラルのつれづれ

先日のゴー宣DOJOでテーマとなった保守とリベラル、
あれこれ考えをめぐらせている。
DOJOの中で先生方が話していた内容は
「なるほど」と思ったのだけど、
自分の言葉としてまだ説明できるに至っていない。

いや、保守とリベラルをきれいに定義・説明できたとして、
それにどれほどの意味があるだろうか、とも思う。
今の保守気どりの人たちに懸命に定義を説明したところで、
「そうはいっても俺は保守だ」「なぜなら保守だから」
という程度の答えしか返ってこないだろう。
人は自らを規定するラベルが欲しいのだ。
そのラベルを剥がしたら寄って立つところがなくなるから、
ゼッタイに手放さない。
かくして、男系&親米と言っていればいいだけの
お手軽保守ムラができあがる。
高市とトランプの腕組み写真など、媚びに媚びていて、
これが一国の首相の姿かと見るに堪えなかった。
保守気どりの女など、所詮そんなもんだと
思われてもしかたがない。

ふと、保守界隈の重鎮おじいちゃんに
「キミは第二の櫻井よしこになれる」と
言われたことを思い出した。20年近く前だ。
あの頃、やたら「キミは保守だ」と言われていたが、
保守が何を意味するかもわからず「???」だった。
何しろノンポリという言葉も知らなかったのだ。
この界隈で珍しい「女」というだけで
第二の櫻井よしこと言われた日には、
「いや、勘弁してくれ」という思いしかなかった。
周りが勝手に自分を規定してくることに嫌悪しか湧かなかった。


じゃあ自分はリベラルなのだろうか、とも問うてみる。
保守の対義語はリベラルではないが、
少なくとも自称保守が敵視しているのはリベラルだ。

ちなみに今回のDOJOで意見がわかれたのは、
慰安婦や吉原の女性に対する捉え方だった。

山尾さんや森先生は、慰安婦や吉原も文化であり知恵であるとした
小林先生とは考え方が違うと言っていた。
女性の「人権」という“普遍的な価値”を
最上位に置いていたら、そうなるのだろう。
理想は理想として掲げていいのかもしれない。
だけど、もし自分が慰安婦なら、吉原の女なら、
「そんな理想じゃメシ食っていけねぇんだよ!」と
思ったに違いない。


結局のところ、私は“普遍的な価値”にすら懐疑的なのだろう。
誰もがその時代の時代背景や価値基準から逃れられない。
だとするならば、現在の“普遍的な価値”とて、
100年後には基準がガラリと変わっているかもしれない。

また、普遍的(と今を生きる私たちが思っている)価値を
過去に当てはめてみたところで、なおさら意味がない。
「昔は野蛮だったのね」
「昔は女の人がかわいそうだったのね」
そうやって、容易く進歩主義的な自己満足を
調達できてしまいそうなところに、
私自身はむしろ怖さを感じる。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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